自分の手を汚さずに、犠牲になった命に感謝せず、畏怖の念も持たず、
食べられる環境をあたりまえと思い、いただきますの言葉もなく、食い散らかす輩に限って、
動物愛護云々言ってるような気がするんだけどね。
結局、この手で生き物を殺しているわけで、
綺麗ごとじゃ猟師は務まらんけどね・・
でも、少なくとも、自分の手で殺した獲物に関して、責任を実感できるのは、猟師だと思うんですよ、僕は。
こんばんは。
命を奪うこと...。まだ猟では一羽も一頭も仕留めていない私ではありますが、お魚さんに至っては数えられないほどの命を奪ってきました。猟にしても釣りにしても獲物にとって非常に気の毒なことをしていることには変わりないですね。そんな私でも釣りで外道(フグとエソ)が釣れてもムダに命を奪うことはせず、基本的には逃がすようにしています。
猟も釣りも生きる物の命を奪うことが目的なのではなくて、自分で食材を取るという目的のための過程の一つにしか過ぎません。重ねて書きますが命を奪われる側にとっては気の毒なことをしているということだけです。
来期こそは猟で私の手に掛かる、気の毒な獲物に出会いたいものです。
ブラックバス釣りでは在来種の生態系をさんざん乱し、「キャッチ&リリース」なんてうそぶいていますが、それに比べれば、きちんと命をいただく狩猟のほうが本来の人間の姿だと思います。
しかし、何も悪いことをしないキジを撃って食べることに正当性を見つけられず、多少の罪悪感を感じることも確かです。
命をいただくことは食べることだけでは説明が難しいですね。
これ、おととい読んで、
その日は眠れなかったな。。。
漠然と感じていた「命の貴さを・・・」っていうフレーズへの違和感がすごく伝わって来ますね。
まだ獲物を仕留めた経験はありませんが自分なりに理由をもって狩猟には臨みたいなと思わされました。
答えは人様々でも考え続けることが大事なのかもしれませんね。
僕は屠殺場や子供に動物を殺させるような、
いわゆる『命の授業』的な活動をあまり良しと思っていません。
食べ物に感謝すると言った最低限の倫理観があれば、
このような啓蒙活動は非常に『ショービジネス』的です。
これは過度な動物愛護行為に対しても同様だと感じます。
僕は人間が動物を捕獲し食べることは非常に自然的な事だと感じます。
しかし、「わざわざ野生の動物を獲って食べなくても店で買えばいいじゃないか!」
と言う意見も最もだと思います。
ただ、お金の力で誰かが生産した食料を調達し、
それを補給し日々の生活を繰り返す。
そんな私たち『ヒト』は『ロボット』のようだと感じることがあります。
狩猟に限らず、釣り、採取をテーマとする限り避けられないテーマですね。
ちなみに、今回の話は時系列的には去年の11月初旬。
当時は全く異なる内容でしたが、5ヶ月よく考えたうえで今回のエピソードになっています。
またいつか同じテーマで書くときが来ると思いますが、
その時は今回とはまったく異なる考え方をしていると思います。
狩猟は唯一動物の命を『奪う』活動です。
実際に経験してみると、色々な考えが渦巻くと思いますので、
御自信なりの答え(過程)を見つけてみてください!
3日前に読んでからずっと考えてましたが、自分にはやっぱり狩猟が命の尊さを伝えられるようなものとは思えないんですよなぇ
有害鳥獣駆除ならともかく、趣味としての遊猟はどう理屈を捏ねても趣味という楽しみのために鳥や獣の命を奪うわけですから、そこに大義名分を見出すのは無理に思えます
もっとも、自分がそれを誰かに言われたら『店にある肉を選り好みするのが良くて、どうしてそれを買わずに自分で捕ることを選択したらいけないのか? どちらも自分が食べたいものを食べているに過ぎない』と開き直ってしまいそうな気もします
まだ狩猟を始めていない自分ですが、そういうことも色々噛み砕きながら自分なりの考えを見つけられたらと思います
ハンティング(キャッチアンドイート)は命を奪う趣味です。
例えどんなに崇高な見解を述べようとも、この活動を続けている以上
生物の生命を楽しみから奪っている事に違いはありません。
しかし、このような事に楽しみを感じるのはおかしなことでしょうか。
僕はヒトが『動物としての情緒』として自然的な感情だと思います。
なかなか文章としにくいテーマですが、是非今期実際に狩猟をしてみて、
感じられたこと教えてください!
「命の尊さ」というフレーズに胡散臭さを感じるのは僕だけでしょうか?
昔から思っているのですが、このフレーズってすごく口にする人が格好つけているように思えてなりません。
狩猟や釣りで生き物の命を奪うことに関しては、その人がちゃんと考えた上で行動を起こしているのであればそれで良いかと思います。
こういった問題ってすごく自己満足的で、世の中には貧困とか経済格差とか教育問題とかもっと考えるに値する問題があると思います。
狩猟という世界を広報するためにハンティングの現場を
見学するのことは問題ないと感じます。
しかし「命の大切さを~」等の御題目の元、
『死』を見世物にする事に、僕はとても違和感を感じます。
今回はキャッチ&イートを主題とする当ブログにおいて
不可避のテーマを取り上げました・・・が、
この問題は人類が何万年もかけて考えてきた事です。
僕自身の考えをまとめてみたつもりですが、矛盾や説明不足だらけですね。
またいつか、同じテーマを別の切り口から書いてみたいと思います!
傍らに添えたワンカップに優しさお感じます♪
命に感謝していただきます!
狩猟と言う趣味に色々と理由はつけられますが、自分の中での答えは「理由なんか無く、本能が満足する、楽しいと感じるから」です。世の中には、オッサンがメイド服着て街中歩くような趣味もある様ですし、それぞれ楽しめる人が楽しめばいいかと。出来れば周りの人に狩猟という趣味を理解してもらいたいけど、命を奪う趣味ですからね…難しいと思ってます。私は、聞かれたら説明する程度にしか話してません。
個人的には、他人の猟を撮影されてる方に不快感を感じます。何というか…自分は安全地帯に居ながら他人の猟果を横取りしているような…命への敬意が無いような…。某グループを連想します。世間に狩猟を理解してもらうのは重要だけど…ん~…。
私はジビエさんより1年だけ早く猟を始めただけですが、拙い経験が何か役に立てればと偉そうに色々書き込んでました(笑) 既に私以上に色々経験されてある様ですので、今後はゆっくり背中を追いかけさせてもらうとします。
私たちは服を着ていますが元はただの毛無し猿です。
動物の一種である私たちが、本能を満たすために狩猟をする。
これは決してたいそうな理由が必要な行動ではないと思います。
多くのヒトは、自分達が動物である事を忘れ、
まるで機械仕掛けのように日々を過ごしています。
ヒトが作り出したシステムで生存し続ける事が可能なので、
本来は交じり合うことのない世界なのですが、
中には極端(過保護を含む)な解釈を持ち出して『いのち』を見世物の
ように扱われる事が多くなってきています。
・・・という内容だったのですが。
読み返してみると、わかりにくいですね~w
しかし、このようなテーマを表現してみることは
僕にとって非常に勉強になりました。
また1年後、今回とは違った表現で
このテーマを書きたいと思っています。
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