家畜は人間の都合に合うよう作られた生物ですよね。
「動物を解放する」とか言う愛護がいますが、どういう意味かいまいちわかりません。 給餌をやめて野に放つのが解放なのか、家畜化された種は絶滅させるのか。
北海道で7年程狩猟をしているゆとり(猟友会内で見れば)ガキンチョですが愛護関係者の言う可哀想も私は間違ってるとは思いません
私自身蝦夷鹿や羆を先輩たちに指導されながら数え切れないほどこの数年で捕獲して来ましたが捕獲時に日常では得られない高揚感と共に哀切さも覚えます
特にキツネの駆除は胸に来るものがありますね
あと農業被害への有効性もデータ上の数値以上に銃は貢献していると思いますよ
北海道では昔からデントコーン畑に羆が住み着いてしまう事があり私含め農業関係者には即効性のある実力を持って確実に排除出来る銃は絶対に必要だと考えます
データとして記録される農作物被害や人的被害以外にも恐怖感と言った大型野生動物が農業従事者に与える影響は大きいと思います
動物愛護の人たちがおかしな点のひとつが、
『動物』という言葉に家畜も野生動物も含めていることですね。
人間の創造物である家畜に情を持って接するアニマルウェルフェアは
僕は支持していますが、野生動物に対して行っている言葉は、
ただのエゴだと言えます。
少なくと、彼の人らが言うように「すべての動物を解放」したいのであれば、
全ての種を家畜化して、野生動物は絶滅させるという、
神の所業をみせなければならないでしょうね。
はじめまして。
ハンターが動物を捕獲した時に感じるのは、
動物愛護者の使う「かわいそう」ではなくて「哀愁」ですね。
ことが済み、興奮が冷めやって感じる『残心』という感情です。
少なくとも、自分の手で殺した動物を見て
「かわいそう(命が失われたことに対して同情する気持ち)」
が湧いているのだとしたら、行動と心理が一致していない一種のサイコパスです。
『駆除の効果』については、かなり誤解を受けやすい表現だったとおもいます。
そこでもう一度説明をすると、ブログ内で私が述べているのは、もっと大極的な話ですね。
例えば、もーもーさんが駆除を行っている地区や、付加価値の高い作物を
育てているような場所では、駆除にかけた費用と経済的利益がペイできている
所もあると思います。
しかし現在、多くの場所では、駆除の費用が経済的利益を上回っており、
野生動物を駆除し続けることが果たして社会的に有効といえるのか
疑問視される状況になっています。
そこで『駆除前提の対策』から、『人間の居住環境から見直そう』
というのが、前々回の私の主張であります。
この地球上で人間と野生鳥獣と共存していくには、
銃と罠を使って猟圧をかけていくことは必須です。
しかしここでは戦術の話をしているのではなく
もっと根本になるドクトリンを見直すという話をしているわけです。
はじめまして。
狩猟者の「好きで殺している」発言は開き直りなのかと思いましたが、コメント欄を読んでそうではないと少し理解できたような気がします。
狩猟行為のもたらす社会的な効果をもって、狩猟を肯定的な主張へもっていくほうが論理的に思えたものの、ストレートに本能の為せる部分に起因すると理由づけするほうがどんな飾り立てた主張より反証しやすいのかなと。
他の野食ブログを読んでいると、生体への興味、食への好奇心といった単純な欲求が動かしているように感じますし、読者もそれを追体験して欲求を満たしているわけで。
これからも面白い記事を期待しております。
はじめまして。
『マズローの欲求5段階説』という考え方を借りると、
狩猟をすることは「日本の農業を守りたい!」といった高次の『自己実現欲求』
を満足させるものではなく、より本能的な『承認欲求』を満足させるためにある
のだと僕は思っています。
例えば「俺、こんな獲物が取れたぜ!すごいだろ!?」という他者承認、
「狙った獲物が一発で倒れた!俺つえーー!」という自己承認の欲求を
満足させるものです。
猫がネズミを咥えて飼い主の前にあらわれる、あれぐらい低次で、
本能的な欲求を満足させるのが狩猟という行為だと僕は思っています。
(さすがに現代の狩猟を食欲などの生理的欲求に絡ませるのは無理があります)
狩猟をする人は、まずこの『承認欲求』が人の常にあり、欲求を満足させる
ことに対して”喜びを感じるのだ”ということを認める必要があります。
本能的な欲求の満足を理屈や御託を並べて覆い隠しても、必ずどこかで
矛盾が生じてしまいます。
ちなみに西洋では「獲物をしとめた!」という結果に対して承認欲求を
得るだけでなく、芸術活動として承認欲求を満足させる方向に
狩猟という行為を昇華させています。
例えば、銃に彫金をしたり、狩猟行為を絵画や彫刻にしたり、
”トロフィー”という形で残したりすることです。
これからのハンターは、
狩猟は『人間の本能的な欲求を満足させている』ということに加えて、
『動物をしとめる欲求を満足させる手段ではない』ということも、
理解しておく必要があるのだと思います。
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